移り気なブログ

テーマなどない自由気ままな雑記帳です。

自転車関連の本を1冊読みました。

自分のことをオヤジと呼ぶ著者が自転車を通じて世の中を批判したり、自転車のよさを訴える、というような内容です。
読み始める前の予感は的中しました。

…つまらない。

論じてることがずれているように感じました。(少し前の本だからかな?)
大型バイクや大型バイクに乗る若者をこきおろしてました。
パソコンやケータイは嫌いで、だから原稿も手書きだそうです。
この辺の文章を読むと、なにか大きな勘違いをしていて、誰もそれを教えてあげない、みたいな感じです。
独りよがりを感じました。
もっともそういう本なのかもしれませんが…。



自転車のよさを訴えるのに、一度乗ってみてくれ、といってました。
そして、10万円台の、できれば20万円を越える自転車に乗るように言ってました。
ママチャリはだめだとは言ってませんでしたが、ママチャリに一言も触れていないのは、当初からママチャリを無視しているからだと思います。
世の中に圧倒的に多いママチャリは著者にとっては自転車ではないのでしょうか。

普通の人が10万とか20万とかの自転車に乗る機会なんてありませんよね。
これでは自転車の啓蒙になるどころか、自転車の敷居を高くしているのではないでしょうか。

ここではたと気づきました。
著者は自転車そのものが好きなんだと。
自転車に乗る精神ではなくて。
ソフトではなくハードが好きなんだと。



自転車の世界は排他的だと感じるのは私だけかもしれません。
著者の考え方も行き交う多くのライダーも私の行ったほとんどの自転車屋も私には排他的に感じます。
サイクリングロードで行き交っても挨拶したことがありません。
登山ではすれ違う登山者に挨拶する私なのに。。。
登山者は見ず知らず同士でもお互い、険しい山道を歩いているという連帯感を醸し出します。
自転車乗りはそのようなことはなくて、相手の自転車を観察したり、自分より早いか、強いか、と常に比較し内心で勝負しているように思えてなりません。
でもあるレベル(ズブの素人から脱皮したあたり)を超えると俄然、メンバーズクラブ的になり、レベルに達していない私のようなものを無視・排除します。



登山のときのように「こんにちは」と声をかける必要はないです。
何せスピードが出ているのですから「……」となって皆まで聞こえないでしょう。
ハンドルを握っている手をちょっと開いて指を立ててうなずく、だけで充分です。

手入れの行き届いた高そうな自転車にばっちり決まったウエア姿で疾走してきたライダーにすれ違いざま指立ての挨拶をされたら、うれしくて舞い上がっちゃいます。

自転車っていいなーーーと思っちゃいます。
まるでツール・ド・フランスみたい、と思っちゃいます。

内心、レベル以上だと思っている自転車乗りの皆さん、明らかにレベル以下の自転車乗りにかっこいい挨拶をしてみてください。
登山のように挨拶から始まる連帯感が浸透していくかもしれませんよ。